「舞」の起源、踊りの本質
自分でも、どうしてこれ程のめりこめるのかと不思議に思うほど、相変わらずバレエに対する情熱は衰えません。初めてスタジオに足を踏み入れてから5年経って、未だに自分の身体の未知なる領域を開発する面白さに取り付かれています。仕事と主婦業との両立で、レッスンは週4回程度しかいけませんが、会社への行き帰りの電車でもIpod nanoに入れたバレエの動画を見て、こう動いてみたらどうだろう、ここの筋肉を使うにはどうすればいいだろう、と考え続け、街を歩いていても、お酒を飲んでいても、シャワーに入っていても、頭の中は常にバレエ、という毎日です。
で、今日個人的に盛り上がった発見!
会社の昼休みにデナリさんというイラストレーターのブログの過去記事を遡って読んでいたのですが(イラストやブログの雰囲気がとても好きなのです)、「おばあちゃんは書道家。」というエントリに、「舞」という漢字のルーツが書いてありました。
「舞」というのが私の名前ですが そもそもはこの字は「無」と書かれていたそうです。(中略)
「無」がいわゆるnothing の「有無」の意味で使われるようになったから、「舛」(セン=左右の足が外に向かって開く、舞う時の足の形)というパーツを組み合わせて「踊る」という今の意味で使われるようになった字なのだそうです。
ビックリしました。
「左右の足が外に向かって開く」って、まさにバレエで引上げと並び肝となるターンアウト(=アンデオール)ってヤツです。(股関節は球関節なので、ボール状の大腿骨頭が骨盤のくぼみにはまりこんでいる状態なのですね。なので、股関節からグルンと回すことが出来ます。理屈では。
実際は日々のレッスンでハムストリングをストレッチしたり内転筋を鍛えたりして、少しずつ少しずつ開いていきます・・・)
漢字が出来たその昔から、踊ることにおいて足を外旋させることは重要だったんだなあ。本質なんですね。アジアの踊りにおいても、西洋の踊りにおいても。(あれ?でも日本舞踊って内股ですか?良く知らないけれど内股なイメージ。)
面白くて他のサイトも覗いていたら、「舞」という漢字の起源を他の視点から説明している記述を発見しました。http://www5a.biglobe.ne.jp/~tukasamt/4tennokanzi/4tennokanzi.htm
神の前で舞をまって「ないもの」をねだること。そこから「ない」という意味になりました。舞の意味がなくなったので、を両足の形に変えて、「舞」の字を作りました。無の4つの点は火ではありません。
踊りは神への祈り、というイメージはありましたが、「ないものを」という要素が意外と大きかったのね。
バレエでは顔の向きや目線というのもかなり大事で、「少し遠くを見るように」などと表現をされることが多いのですが、それは「この世ではない」ところを見ているように、ということなのかもしれない。「ここにないもの」に思いを馳せるイメージ?
難しいんですけどね。厳密に身体の向きや手足のポジションが決まっているバレエでは、自分の形を確認するためについつい鏡に頼りすぎてしまう。バランスを取るときも「目力でバランスを取らない!」と先生に注意されたりして。どんだけ鏡をガン見してるんだっていう・・・
明日のレッスンでは、踊りの本質に戻り、改めてアンデオールと「ないもの」に意識を集中してみたいと思います。


