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ロベール・ドアノー、幸福の瞬間

日本橋三越にロベール・ドアノー写真展を見に行った。

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ドアノーは今回のチケットにも印刷されている、パリ市庁舎前のキスという写真が最もポピュラーな作品だと思うが、実はこの写真は偶然の一瞬を捉えたのではない。女性は女優のフランソワ・ボネ。つまり役者によるキスシーン。

ドアノーはその時そこで起こった真実だけにこだわらないのだ。撮り損ねると、モデルに同じシーンを再現してもらって撮影したりもする。 私はそれを邪道だと思っていた。 ずるいと思ったし、それゆえドアノーに対してネガティブなイメージも抱いていた。

でも。

実際に幾つものドアノーの写真を見ると、そこに溢れる光、愛情、優しさ、面白みに心が大きく動かされた。いいな、素敵だな、と思った光景を写真に残し、人と共有するという、写真の本質を見た。

写真展の中で上映されていたフィルムでドアノー本人がこんなことを語っている。「貧困をテーマにした写真は多くのドラマがあるし、写真映えする。が、それを撮ったところで状況は変えられないし、人々はすぐに忘れてしまう。それよりも喜びを見せたい。喜びを人と共有したい。」

そうか、そうだったのか、と思った。ここにあるのはドアノーの「幸福の瞬間」。

そして。内田ユキオさんの本の一節を思い出した。私が写真に興味を覚え、好きになるきっかけにもなった文章だった。

あるとき原宿を歩いていたら、ブランコにうずくまって寝ている男がいた。その後ろから楽しそうに歩く親子が近づいてくるのが見えた。50ミリを35ミリに替えてさらに何歩か距離を詰め、露出とピントを合わせて親子が寄ってくるのを待った。
そのとき、男が急に起き上がり、何かを投げつけてきた。レンズに当たって落ちたのは、中身が半分ほど残ったビールの缶だった。僕には当たらなかった。レンズの鏡胴に小さな傷がついただけだ。
「ちぇっ、なにするんだよ。忘れて次だ」と受け流してしまうことも、「プロになるんだから、こんなことでくじけるもんか」と奮い立たせることもできなかった。ズマロンに残った傷を見つめて、自分の心に向かい合うのが精一杯だった。
もし信念があって、そういった写真を撮ることに意義を感じていたら、それまでと同じように撮り続けることができたかもしれない。でも僕はそんな写真が撮りたかったわけではないことに気づいた。
(中略)
それは、ほんとうの意味で、それまでの写真と決別する機会になった。これからは影にいても光を見よう、と。好きな女の子に電話をして、「ねぇ、聞いてよ。今日、素敵なことがあったんだ。昼間に原宿を歩いていたらね・・・」と伝えようとするみたいに。やさしさと喜びを感じられる写真が撮りたいと思った。

時代を超えて、国を超えて、写真から伝わってくるフォトグラファーの優しさ、愛情に、心がほっこり温かくなった一日だった。

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