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アウシュヴィッツ、クラクフの夜

朝、クラクフに到着。 今回の寝台車はこれまでと比べてずいぶんと値段が高かったのだが、
その分いろいろなところが少しずつランクアップしていて快適だった。毛布ではなく掛け布団だったのが一番嬉しかった。

そのまま国際線の窓口に行き、明日の夜プラハへ向うための電車のチケットを買う。
前に手続きしている人(外国人)が「トウシバ」リュック。 これ、ブルガリアの街中でも見かけたんだけどヨーロッパで東芝人気沸騰中? 

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チケットを購入して予約してあるホステルへ向かう。

Mama’s Hostel
St. Teresy Street no.2

旧市街の真ん中にあると思っていたら、そこはレセプションとドミトリーのみらしくダブルルームはそこから徒歩15分ほど離れた別のアパートなんだって。 予約する時に気づかず、レセプションで住所を案内されて、がっくし・・・最初はタクシーを無料で手配してくれるのでいいけれど、 その後観光する上ではやっぱり不便。でも部屋はものすごく広くて、落ち着けないくらい広くて、そしてとてもきれい。 シャワーとトイレは共有。キッチンにはコーヒーやシリアルが用意されていて、自由に食べて良い。 私は見知らぬ他人とスペースを共有するというのが苦手なのであまりリラックス出来なかったけどそういうのが気にならない場合は、料金も安いので長期滞在におすすめ。レセプションの女の子は親切でかわいかったし。

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さて、荷物を置いていざ観光。明日はイースターサンデーなのでほとんどの観光スポット、店がクローズしていしまう。
行きたいところはどうしても今日のうちに行っておかなければ。

で、アウシュヴィッツ
そもそもアウシュヴィッツに行きたくて、ポーランドに寄ることにしたのだから。昨晩からクラクフ入りしている旦那さんの学校の友達二人と一緒に行く。まず駅へ。アウシュヴィッツまで直通バスが出ているので、そのチケットを買いバスを待つ。しかしそれが長蛇の列。バスは来たものの乗れなかった。。。 次のバスは1時間20後というので、チケットをキャンセルし、電車+バスを乗り継いで行く計画に変更。 次の電車は10分後。駅構内をダッシュし、切符を買い、乗り込む。

光の加減と、向かいのホームのカップルが素敵だった。

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1時間ほど電車に乗り、オシフィエンチムという駅で降りる。そこから博物館を通るローカルバスが出ているハズなのだが、ガイドブックにはどのバスか、という情報がない。他の観光客についていけばいいかと思っていたら、なんと全員行き方を知らないらしく途方にくれてしばらく駅前でうろうろ。結局ほとんどの人がタクシーを利用して行ってしまった。我々は最後まで粘ってバスの番号を調べ、バスを待って、乗った。アウシュヴィッツの博物館までバスで15分くらい。地元の人が「博物館はここだよ」と降りる場所を教えてくれたので降りることが出来たが普通に平和な住宅街なので、本当にここが?と疑ってしまう。この辺の人たち、アウシュヴィッツの近所に住むことに抵抗は感じないのかしら。。。

中に入る。 アウシュヴィッツは自由に見て回ることもできるが、3.5時間という立派なガイドツアーがあるので、これに申し込むべし。 一人のガイドに25人ほどの人数で回る。 私たちのガイドはポーランドの女性。英語ツアーなのだけど訛りがかなり強い上に、彼女の話し方がとても雰囲気たっぷりというか、アウシュヴィッツの悲劇を悲しみ、嘆いている語り口で解説してくれて、それはそれで良いのだけど、声が小さく、さらに語尾は消え入るようなので、大層聞きづらかった。

アウシュヴィッツの門をくぐる。ARBEIT MACHT FREI(働けば自由になる)」の一文。

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建物内部は写真撮影が禁止されているが、たとえ禁止されていなくともとても写真を撮る気にはなれない。。。施設の大部分はナチスにより破壊されたため改めて復元したものが多いのだが、11号棟はオリジナルで、中に入るとSS隊員の勤務室、死の判決を下すための部屋、囚人たちの監房、立ち牢等を当時の様子のまま見て回ることが出来る。また、他の棟にはナチスによる文書や写真等の記録、ガス室へ流した毒物の空き缶、収容者から没収した服や靴などの衣類、トランクやメガネなどの日用品、義足、剃られた毛髪とそれで織られた布などが、 ガラス越しに山積みにされた形で展示されている。

廊下の壁にかけられた収容者たちの証明写真には、それぞれ顔の下に入所した日付と死亡した日付が記されており、ガイドによると、入所してから死亡するまでの平均期間は約3か月だそうだ。劣悪な環境、飢餓、病気、過酷な労働、処罰によるものだ。

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多くの囚人がこの壁の前で銃殺刑に処された。

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3月末にも関わらず、震えるほど寒い。冷たい風が吹き抜けていく。手袋をしていても指はかじかみ、冷気がスニーカーやジーパンを通して 伝わり、次第に足の感覚がなくなってくる。しかし、この場所で囚人たちに許された衣類は、パジャマのような薄い1枚の囚人服と 布の靴もしくは、サンダルのような靴だけだったのだ。 どんなに寒かっただろう。

ガス室内部の見学を終えたのち、バスでビルケナウ(第二アウシュヴィッツ)へ移動する。アウシュヴィッツだけでは間に合わなくなってきたため、広大な敷地に殺害のための施設として作られたのがビルケナウだ。

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死の門。 囚人たちが貨物列車に乗せられて入ってくる映像を見たことがあるだろう。

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ビルケナウには木造のバラックが立つ。急ごしらえで安く作られた小屋は隙間風が入る粗末なつくりで、3段ベッド、トイレ用の穴が並べられていた。 トイレと言っても排水施設はなく 汚物は溝に落ちるだけという不衛生な環境。ひとつのバラックに数百人という単位で押し込まれ、わずかな食事しか与えられず家畜のように扱われた。

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ビルケナウでツアーは終了し、解散となる。 帰りはクラクフ駅への直通バスに乗ることが出来たが 1時間以上ギュウギュウ詰めで立ち乗り。 昼ごはんも食べていなかったので空腹で、バスから降りたときは疲労困憊。 自分の目で見て、歩いたアウシュヴィッツはあまりに強烈で、重くて、感じることが多すぎて容易に言語化して語り合うことは出来ず、お互いの心で静かに消化しながら、日が暮れていくクラクフの街を歩いた。

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イースターのため、ポーランド料理の手頃なレストランは開いておらずグルジア料理のレストランへ入った。ウェイトレスがみんなかわいくてレベルが高い。 ホステルの子もかわいかったし、美人率が高い国なのかも?

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ホステル近くの酒屋でワインを買い、部屋で飲みながら本を読んでいたがすぐ眠くなり寝てしまった。中身が濃く、長い一日だった。

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